高岡──金属加工と戦前建築の街を訪ねて


ものづくりで知られる都市を訪ねてみたい──そんな思いに駆られて、頭に浮かべた街の名が高岡だった。

「クラフトツーリズム」という言葉を耳にしたことはあるだろうか。近年、注目を浴びつつあるクラフトツーリズムは、地場産業や工芸といったものづくりの現場に足を運び、その歴史と今を肌で感じる旅を指す。遠く運ばれてきたモノだけを見ても、分からないことがたくさんある──そう感じる人が増えているのだろう。自身もその一人として、ものづくりの街を自分の足で歩いてみたいと思うようになった。


古くから製造業に情熱を注ぎ、老舗企業の多さ[*]でも知られる日本では、一口にものづくりの街といっても、そのありようは様々だ。東京や大阪のような大都市では、歴史のあるものから最新のプロダクトまで、多様なものづくりが行われているし、京都や金沢のような古都の、ものづくりにかける熱量は並ではない。さらには、陶磁器や漆器、和紙など、すぐれた工芸の技を誇る小さな町も、日本各地に点在している。

* 韓国銀行の2008年の調査によると、創業200年以上の老舗企業は世界41か国で5586社あり、日本企業はそのうち56%を占める3146社にのぼる。


北陸の中規模都市、高岡は、江戸初期から400年にわたり、鋳物の一大産地として栄えてきた。日本を代表する、ものづくりの長い歴史を持つ街のひとつだろう。

しかし、かつての僕が抱いていたイメージは、実のところ「仏具のような渋い金属製品の産地」「観光名所は高岡大仏」程度の乏しいものでしかなかった。その印象がぐっと変わったのは、ここ10年くらいのことだ。デザインを学ぶようになって、1986年から今も続く高岡クラフトコンペの存在を知り、さらに近年は、高い技術を生かした高岡発のモダンな金属製品に触れる機会が増えた。2012年に始まった工場見学の祭典、高岡クラフツーリズモなど、新たな取り組みも目立つ。

Tahitoを始めるにあたって、この街を訪ねてみたくなったのは、地場産業界に新風を吹き込むような老舗メーカー二社の存在が特に大きい。まずは、2001年よりモダンな錫製品や真鍮製品を展開し、国内外で快進撃を続ける能作。そして、プロダクトデザイナーの大治将典氏と組んだ真鍮製品が人気を集めるFUTAGAMI/二上。思い切って取材を申し込んだところ、とりわけオープンな姿勢で知られる能作社が快諾してくださり、期待を胸に高岡行きの列車に乗り込んだ。

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今回は、能作の取材記事へ続く高岡篇第一弾として、実際に歩いて知った街の魅力を、3つの切り口から紹介してみたい。高岡の製品に興味のある方や旅の目的地に検討している方の参考になればうれしい。

金属と生きる職人の街、その歴史と今

金沢市と富山市の間、富山県西部に位置する高岡市は、自然環境に恵まれた人口18万人ほどの商工業都市だ。北は海の幸ゆたかな富山湾に面し、晴れた日には東に美しい立山連峰を望む。2015年に開通した北陸新幹線のおかげで、東京からもぐんとアクセスしやすくなった。

江戸時代のはじめ、藩主の英断ともいえる産業振興政策により大きな発展を遂げた高岡は、以来鋳物の産地として長く栄えてきた。鋳物産業では今も9割超という圧倒的な国内シェアを誇り、日本中の寺社で見かける仏像や鐘、街の銅像のほとんどがこの街でつくられているというから驚く。

それでも、高度経済成長期とその後のバブル崩壊以降は、ほかの地場産業とも共通する試練を迎えてきた。世の中のニーズの変化、つくり手の高齢化、後継者不足といった逆境をいかに乗り切るか。伝統の継承と革新、その両方がなければ未来はない。その危機感の強さは、実際に訪ねてみると、ひしひしと伝わってくる。

前述の、新しい産業工芸の可能性を拓く高岡クラフトコンペや、ものづくりの現場を外に開く高岡クラフツーリズモは、バブル崩壊後の日本の地場産業における新たな動きを、それぞれ代表するものだろう。また、これまで職人として寡黙にモノをつくってきたメーカーも、情報発信や場の公開、コラボレーションといった取り組みに力を入れるところが増えている。

市の中心部には、ものづくりの体験や情報発信に力を入れるはんぶんこ、大寺幸八郎商店、雅覧堂といった工芸ショップも数多くある。もし若手作家の活動に触れたいなら、金屋町金属工芸工房かんかを訪ねることをおすすめしたい。

戦前建築のパラダイス

日本の地場産業の歴史と新たな動きの両方を肌で感じられる高岡は、クラフトツーリズムの目的地にぴったりだが、さらなる強みを持っていることが分かった。そのひとつが、街に残る旧建築の数々だ。

高岡の市街地を歩いてみると、ほかの多くの都市では見られない、市井の戦前建築が数多く残っていることに気づく。この街は、第二次世界大戦時に米国の攻撃標的リストに載りながら空襲をまぬがれた、数少ない中規模都市のひとつなのだ。

この街での散歩は、まるで時間旅行のよう。日常のなかに、江戸時代から現代までの建築がひと続きに息づいており、同じく空襲をまぬがれた京都や金沢とはまた異なる趣きがある。あちこちに見られる銅板葺きをはじめ、金属加工の街であるがゆえの、金属パーツのゆたかさ、美しさにも注目したい。

高岡で一番古い街並を見たいなら、街の中心地の川向こうにある金屋町を訪ねてみよう。ここは、17世紀初頭に7人の名鋳物師が集められたことにはじまる、高岡鋳物発祥の地。江戸時代に建てられた町家が今も軒を連ね、多くの小工房が活動を続けている。

この金屋町は、火が出やすい鋳物業ゆえに、あえて中心地から川を越えた場所に置かれたのだが、皮肉なことにその後、中心地の方で大火があり、こちらが当時のままの姿を伝えることになった。近くには、鋳物づくりに革新をもたらした、産業革命期の溶鉱炉(キュポラ)も残っている。

一方、街の中心部にある山町筋という地区には、明治から昭和初期にかけての戦前建築が並ぶ。土蔵造りや真壁造り、前面を洋風に仕上げたものなど、様々な町家を眺めていると、当時の通りを行き交う人びとの姿が浮かぶようだ。

そのなかには洋風建築もあり、1914(大正3)年に建てられた赤レンガの富山銀行本店(旧高岡共立銀行本店)は特に目を引く。東京駅を思わせるのは、同駅を設計した辰野金吾が監修したからだ。金属と生きてきた歴史を誇るように、銅板葺きの屋根が美しい。

おいしい高岡めぐり

さて、高岡には旅のモチベーションがもうひとつある──食だ。

まずは、鮨。富山湾の魚のおいしさ、北陸の鮨のクオリティは、日本一に挙げる人も少なくないほど。東京のように、財布を気にしてそわそわしなくても大丈夫。この街では、富山市や金沢市同様、ぴかぴかの輝くような鮨が手頃な値段で味わえる。おすすめの店は、地元の人も通う日乃出寿しや人気店の鮨金など。思い出すだけでにやけるような味を、北陸の日本酒とあわせて楽しんでみてはいかがだろう。

もうひとつは、富山ブラックと呼ばれるご当地ラーメン。名前のとおり、黒々としたスープの、濃い醤油味があとを引く。次元、大長、めん八、誠やなど、人気店の食べ比べをしてみるのもいいかもしれない。

最後に、うれしい驚きだったのは、和菓子のおいしさだ。1838年に山町筋で創業し、現在9代目が営む老舗の大野屋は、甘いものが好きなら見逃せない。近くの山町茶屋では、富山棒茶や珈琲とともに、同店の甘味がいただける。散策の合間に、町家の空間でゆったりくつろごう。

次回は、市の中心地から7キロほど離れた、戸出銅器団地に建つ能作の本社工場へ。高岡の革新を牽引する職人集団のものづくりを紹介したい。

Photographs and text by Jun Harada



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